休学生の日記

早稲田大学3年次を休学。2016年9月から2017年7月までベトナムで海外インターン。アジアが好き。

学生よ、結果にこだわるな。

学生の最大の特権は、過程を評価してもらえることだ。

今、インターンとして社会人の世界に足を踏み入れてみてすごく思うことが、”結果が出ないことをやっても許されるのが学生時代”なんだなあ、ということ。

もちろん、結果が伴うに越したことはない。

けれども、「過程を評価してもらえる」というのが学生時代の大きな特徴、というか特権だなあと心から思うのです。

 

社会人になると、過程なんて評価されなくて、本当に結果が全てなんだよね。

私は現在インターンの業務として主に広告の営業をしているけれど、営業の本をどんなに読んだとしても、広告についてどんなに勉強したとしても、契約が取れなければそんなのは何の意味もないことで。

過程としてどんな努力を積んだとしても、それ自体は評価には値しないものなんです。

 

一方、学生時代は過程をこそ評価してもらえる。

何かに挑戦して、例え失敗したとしても、その「挑戦したという行為そのもの」が尊いとされる。

自分の行為が成果や結果に結びつかなくてもいいの。社会人は結果がすべてだけど、学生はそうじゃないの。

これって実は本当に、本当~~に、尊いことだと思うのです。

 

 

学生時代は結果にこだわらない挑戦のラストチャンス

だからさ。学生時代って、結果が出るかどうか、成功するかどうかを度外視していろいろなことに挑戦できる最後の期間なんじゃないか、と思うのです。

だからこそ、学生時代から結果を出すことを求めるのは間違ってるんじゃないかなあ、とも思うのです。

もちろん結果を出せるに越したことはない。ないんだけど、「結果を出せないと駄目」っていうのはちょっと違うんじゃないかなあ、って。

 

それなのに就活では、「インターンでこんな業績を上げました!」とか、「サークルでこういう成果を残しました!」とか、そういうことを言うのが良しとされている。

だからみんな、学生のうちから「実績作り」に必死になってしまう。

でもそのせいで、結果を出せないことが怖くて本当にやりたいことに踏み出せない学生が多いんじゃないか?と思うのです。

さらに言えば、自分が「やりたいことに踏み出せない」という状況に陥っていることにさえ気が付いていないような学生が多いような気がしています。心が本当に求めていることを無意識のうちに諦めてしまっていて、「自分にはやりたいことがない」と思い込んでしまっている学生が多いのではないかと。

 

 

やりたいことを突き詰めてみる、ということ

私も実は最近、「自分は"言葉"に関わる何かをしたいんだ」ということに気がついて。

でもそれはただ「私は言葉を読んだり、書いたりするのが好きだな~、そして素敵な言葉を使う人がとっても好きだな~!」とふと気がついたから、っていうだけであり、才能があるかなんて全く分かりません。仕事にする覚悟もありません。

だからもちろん、いざ挑戦してみたところで成功する可能性なんて限りなく低くて。というよりむしろ、何に挑戦すれば良いのかもよく分かっていないような状態であるわけで。笑

「言葉と関わりたい!」とか偉そうなことを言いつつ、それから取った行動といえばブログを始めてみたり、今まで以上に本を読んでみたりと、ただ言葉に触れる時間を増やしてみているだけなんだけど。

じゃあそんなフワフワしたことに時間を使うよりも、そのぶんの時間で、お金になるアルバイトだったり、就活に役に立つような活動をした方が良いんじゃないか…という思考は近頃の大学生に起こりがちだと思う。

でも、もう1回言わせてもらうと、私は学生のうちから結果ばかりを追い求めるのは間違っていると思う。

何が得られるかなんてわからないとしても、ただ自分のやりたいことに没頭してみる。それが学生時代にやるべきことなんじゃないかって、今社会人の世界に片足を突っ込んでいて、すごくすごく思うのです。

 

なぜならそれは、学生時代にしかできないことだからです。

 

もちろん、自分のやりたいことが「成果を残すこと」ならば、それをやればいい。結果を残すこと自体が間違いだなんて、まさかそんなことは言いません。でも「結果を残さないと駄目だ」という考えはあまり良くないんじゃないか、って思うのです。

 

 

「学生の本分は勉強」である、幸せ。

 「やりたいことを突き詰める」っていうことに付随して思うのが、大学時代は本当に「自分の学びたいこと、興味のあること」だけを勉強していて良いんだよ、というかそうするべきだよ、ということ。

先に述べたように、社会人になると、いくら勉強したとしてもそれが成果に結びつかなければ評価してもらえないんです。「勉強すること」そのものには、一切の価値がない。「勉強」は単なる手段であって、目的じゃないから。

でも、学生時代は「勉強すること」そのものが目的だよね。それは「学生の本分は勉強!」という、日本国民なら誰もが馴染みのある言葉にも表れている通り、誰にとっても明らかなこと。

サークルや恋愛にうつつを抜かして授業を切ったりしている学生(すみません私もその1人です)にとっては耳が痛いようなこのセリフですが。実は「勉強が本分である」って、本当に恵まれていて、幸せなことなんじゃないでしょうか。

 

 

役に立たない学問、バンザイ。

私は今大学で「文化人類学」やら、「平和学」やら「戦争史」やら‥

『で、将来それを何に使うの?』

と言われてしまうような学問を学んでおります。

確かに、就職のときにつぶしが効くような経済学だったり法律だったりを学んだ方が良いんじゃないだろうか~なんて漠然と思っていた時もありました。自分が今学んでいることは一体将来何の役に立つんだろう…と空しくなったり。ただ就職に使えそうだから、という理由だけで簿記の資格を取ろうとしていた時期さえありました。

 

でも、もうすでに何度も言っていますが、インターンを通して社会人の世界に一歩足を踏み入れてみて、「将来役に立つかどうかに関係なく、ただただ自分のやりたいこと、好きなことを突き詰めていっても許される、っていうのが大学生の最強の特権だな?!」ということを心底思い知ったのです。

むしろ、自分の好きなことを勉強できるのは今だけじゃないか、と思ったのです。

 

社会に出たら嫌が応にも自分の仕事の分野に関わりのあることを学ばないといけない。それは自分の働きに対してお金を貰う社会人としての責任、義務でもあるから当たり前のこと。

だから。どうせ社会に出たら仕事に役立てるための知識を学ばざるを得なくなるのだから、学生のうちはとことん自分の好きなことを勉強するが吉!だと思うのです。

 

 私は今年の9月から復学しますが、残り1年半の大学生活、将来なんの役にも立たない確率の方がはるかに高い学問を引き続き学んでいきます。

今は大学に戻って勉強するのが楽しみで仕方がないし、早く勉強したくてたまらない。

それは、自分の好きなことを勉強して、その行為そのものが評価されるなんて、なんて幸せで尊いことなんだろう、と気が付くことが出来たから。「大学生」という時間の有難さに、気が付くことができたから。

そして、ここまで勉強に対する意欲が高まっているのは、広い世界に出て色々な方々とお話をする中で、まだまだ自分は何の知識もないなと、もっともっと知識や教養のある人になりたいな、と思い知ったからでもあります。

 

 

日本の大学生って、世界で稀に見る恵まれようなんじゃない?

ネットで拾い読みした記事に、アメリカ(か、どこかの国)では、大学で学んだことと職業が必ずリンクしてないといけない、って書いてあって。だから学生時代から自分の将来を見据えた学問をする、と。

でも日本は皆さんご存知の通り、理系の学部以外は必ずしもそうじゃないですよね。文学部も法学部も経済学部もあんまり関係なく、フラットにいろいろな職業を選べますよね。

これって本当に凄いことじゃないでしょうか。
まあ、変なことでもあるのかもしれないけれど。

今までは、「将来に繋がるような勉強をしない日本の大学の存在意義って何なんだろう?」なんて生意気なことを思ったりもしていました。

でも今では、「将来のキャリアとか度外視して自分の好きなことにひたすら打ち込んでいける日本の大学生活って、なんて恵まれているのだろう!」と、本当に天に感謝したくなるような気持ちで溢れています。

職業にできないような興味であっても突き詰めていける、ということに感謝したい気持ちでいっぱいなのです。

もちろん、将来やりたいことが決まっていて、それに結びつくような知識やスキルを大学生のうちから身に付けておくことは確実に役に立つことだし、私のように何の役にも立たないようなことを学ぶよりもはるかに生産性があります。

でも私は「大学時代はひたすら好きなことを学べ!」「役に立つかどうかなんて度外視だ!」「結果にこだわるな!」「ただただ自分の好きなことをしろ!」と言う人も、必要だと思います。両方の意見があって良いと思います。

なので私は自分の背中を押すためにも(笑)後者の立場に立ちたいです。

 

 

 人生において本当に尊いもの。

学問の他にも、役に立つかどうか、という打算や計算だけで計れない物事って世の中にはたくさんあると思っていて。そしてそのような物事たち、将来役に立つかどうか、という損得勘定だけで取捨選択したときに零れ落ちていってしまうようなものたちが、実は人生において尊いんじゃないか、と思っていたりします。

 

小説なんてその代表例じゃないですか?

インターンをやっていると、ビジネス書や自己啓発本を読めと耳がタコになるくらい言われます。同じ本でも、小説を読んでいると若干の罪悪感を感じたりもします。確かにビジネス書に比べて小説は直接的に人生で役に立つとは言いづらいですよね。

でも、それでも私は小説を読むのが大好きだし、小説を読む意味は大いにあると思っています。

でも今まで、その「小説を読む意味」をうまく言語化できていなかったのですが、最近ネットで自分の胸の内を代弁してくれるような言葉に出会ったので紹介させてください。

本を沢山読むと、語彙が増える。そして本を読んでいないときの人生が豊かになる。より多くの遊びを知り、より深い味わいを知り、より楽しく人生を過ごすことが出来る。別にそれを仕事に生かす必要はぜんぜんない。本はそれを読む快感を経験することそれそのものが大事なのだ。

「本はそれを読む快感を経験することそれそのものが大事なのだ」ー特にこの一節が大好きで、まさにその通りだと思います。

 

 

損得だけでいろいろなものを切り捨ててしまう人生は、少し寂しいのではないかと思うのです。

何かをやる時、意味があるかないか、成果が出るのか、なんて考えず、ただ何となく好きだから、やってみたいから、という理由だけでも挑戦する理由としては十分なんじゃないでしょうか。

 

 

・・・なんだかいろいろと話が四方八方に飛び散って恐ろしく長く、そして読みづらい文章になってしまいましたが。

とにかく言いたかったのは「学生時代は結果を求めずにひたすら自分の好きなことに没頭してみやがれ!私も復学後は誰に何と言われようともそうしてやるぞ!!」ということになります。

 

こちらからは以上です。