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休学生の日記

早稲田大学3年次を休学。2016年9月から2017年7月までベトナムで海外インターン。アジアが好き。

ベトナムで「JAPAN」という単語が持つ意味

 

ベトナムに来て強く感じることの1つが、
「日本のブランド力と信頼度はマジで半端ねえ」ってこと。

 

 「JAPAN 〇〇」という看板をよく見かけるけれど

 

ベトナムの街中では、「JAPAN LAUNDRY」だったり「JAPAN BEAUTY」だったり、「JAPAN 〇〇」と銘打った看板を見かけることが多い。

そういう看板を見かけると、なんとな~くではあるけれど"クオリティが高いんだろうな~"、"品質が良さそうだな~"という印象を受けるのは、きっと私だけではないと思う。(実際はベトナム人が経営している、日本と全く関係のないお店だったりすることもあるのだけど‥笑)

つまりは、「JAPAN」とか「JAPANESE」っていう単語が「品質の良い」っていう形容詞と同義で使われているんだよね。

本来はただの国名でしかない単語が、形容詞に変わって、しかも"高品質"とか"安心安全"という意味で使われているのって、とっても凄いことなんじゃないかなあ~とつくづく感じる。

もちろん「JAPAN」以外の国名でも、それぞれの国が持つ印象が形容詞に変わって使われていることはあると思う。でも、それが「高品質」とか「安心感」といった精良な意味を所有しているっていうのは、日本のとっても素敵な、誇るべき部分じゃないかなあと思うのです。

 

"日本人である"という信頼

 

話はちょっとズレるかもしれないけど。

ベトナム親日国だからなのだろうけど、「日本人」というだけで凄くみんな友好的に、優しく接してくれる。

街中を歩いていると見知らぬ人が「nhat?(ベトナム語で日本の意味)」とか「japan?」って笑顔で話しかけてくることも多くて、更にはご飯をごちそうしてくれることまであって。

飛び込み営業のときも、突然の訪問でも追い払われたりはせず、とりあえず話は聞いてもらえたり。(これは日本人だから、なのかどうかは分からないけれど)

印象的だったのは、バイクの駐車券をなくしてしまって監視員のベトナム人男性と結構ゴタゴタしたとき(ベトナムはバイクの駐車に関してのルールはなぜか厳しい)、最終的に「お前、日本人か?」「ア、ハイ‥」「じゃあ、行って良い」みたいな感じになって開放してもらえたこと。笑

こんな風に、日々の生活のなかで「日本人」っていうだけで信頼が担保されているんだなあ、っていうのを感じる場面がとても多いんです。

そしてその時に思うのが、これはひとえに先人たちが作り上げてきてくれた信頼や"日本人像"のお陰だなあ、ということ。

 f:id:hawk0805:20170416150715j:image 自宅近くのビアホイで見知らぬベトナム人とお酒を飲み交わし、結果おごってもらった時の一枚。ちなみに言葉は通じない。笑

 

私は日本人として目の前のベトナム人の人たちに何もしてあげられないし、してあげたこともないのに、ただただ「日本人である」という事実ただそれだけで、すごく親切にしてもらえるし、信頼してもらえる。

これって、すごいことじゃないですか?

それは、YAMAHAやHONDAに代表される、ベトナム人の生活に欠かせない製品を提供する日系大企業のお陰でもあるし、多額のODAに代表される国家規模の援助のお陰かもしれない。あるいは以前、ベトナムで親切な振る舞いや行動をした日本人個人が存在するのかもしれない。

とにかく、私ではない誰か、日本人の誰かの行動が、ベトナム人が日本、ひいては日本人に対して抱く印象や感情に繋がっていて、だからこそ今私はベトナム人から親切にしてもらえるのだな~!と。

※もちろんベトナム人の国民性がそもそも親切である、というのも大きな理由。でも、日本人に対しては特別に親切な気がする。事実、多分そう。

 

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バイクの修理を待っている時に出会ったおじさんと可愛い赤ちゃん。
 f:id:hawk0805:20170416152755j:image
抱かせてもらいました。というよりも抱かされました。

 

私の印象=日本人の印象

 

そう思うと、先人たちが作り上げてくれた「日本」「日本人」のイメージに恥じないような行動をしなくてはいけないなあ、と思わされる。

海外にいるとすごく思うのが、私の行動が、私と関わった人が「日本人」に対して抱く印象に直結するのだということ。

例えば、ベトナムでたった1回でも強盗に遭った人は「ベトナム人は物騒だ、危険だ」という印象を抱いてしまうし、逆にとても親切にしてもらった人は「ベトナム人はなんて親切な国民なんだ!」と感じるのではないだろうか。

そういう個人の行動が積もりに積もってその国の印象になるわけですね。

だから、常日頃から日本人として恥ずかしくない行動をしないといけないなあ、というのは個人的にとても心掛けていること。今ここで私が行った行動が、目の前のベトナム人の「日本人」に対する印象に直結するんだなあ、と感じるから。日本にいる時以上に、自分の行動に気を付けなければならないと思っています。

かといって「日本人らしさ」とは何なのか、というのは非常に難しい問いだし、私にもその答えは分からないけれど!

とにかく先人が作り上げてくれた日本に対する良い印象を崩さないように、なんなら良い印象を更に上乗せしていけるように、残りのこちらでの日々を過ごしていけたらと思っています。

 

 こちらからは以上です。

 

これから休学する人へ − 「理由」と「目的」は違うという話。

「やりたいことやろうぜ!」という風潮で溢れる近頃の世の中ですが 

 

近頃、世の中には「自分の心が躍る方に一歩を踏み出そう!」「やりたいことに正直になろう!」という主旨の言葉が溢れているように思う。

それは大いに構わない。

実際、私が大好きな言葉のうちのひとつに「自分のワクワクに遠慮はいらない」という言葉があるし、
私自身も自分のやりたいことに素直になることを肯定してくれるような言葉、自分の背中を押してくれるような言葉が大好きだ。

でも、例えば休学とか、そういった大きな決断をするときに「やってみたいから!」「なんだかワクワクするから!」といった思いだけで飛び出すのは、個人的にはお勧めできない。

なぜなら、それはあくまで「理由」であって、「目的」ではないから。

「理由」がそういう直感的なものであるのは大いに構わないけれど、それと同時に「目的」も持っているべきだと、私は思う。

 

 

 私の考える「目的」の定義

 

「目的」は、地図のゴールのようなものだ。

自分がどこに向かうべきか分かっていれば、自分が正しい方向に向かっているのか、確かめることができる。

逆もまた然り。

ゴールが判然としていないと、自分が正しい道を進んでいるのかが分からないし、自分が間違った方向に進んでいたとしてもそれを正すことが出来ないと思う。

 

 

そんな私の「目的」はというと

 

私の今回の休学の目的は「人に語れるような魅力的な経験、とりわけ挫折の経験を積むこと」だった。

私がベトナムに出発する直前に書いたFacebook投稿には、こんな一節がある。

「挫折して成長すること」が1番の目的である以上、「もう帰りたい」「もう嫌だ」「辛い」「逃げたい」…こう思うくらい苦境に立たされて初めて、正解です。「楽しかった~」だけで帰ってきちゃ駄目なんです。だから、友達のみんな、ベトナムから弱音や愚痴を吐いてしまうことも多いと思うけれど、どうか付き合ってやってください(笑)

私はベトナムに来て4~5か月目に、辛さのどん底まで落ちた。
もう嫌だ。無理だ。頑張れない。自分は糞だ。
自己嫌悪と悲観的な考えに取り憑かれてしまい、インターンを途中放棄して帰国しようと本気で考えていた。

しかしそんな時、自分が休学をした「目的」に立ち戻って自分の決めたゴールを見つめてみると、自分は今正しい方向に向かっているんだ、と確信することができた。

当時の自分は、まさに自分がFBに書いた通りの状況だったから。

 

 

目的がない休学は

 

目的がないままの休学、それは例えるならば、
大海原の真ん中に放り出され、どの島に向かえば良いかも分からないような状況だと思う。

そんな時、どの島に向かうかが決まってさえいれば、自分が目指す島の方向に正しく進んでいるのだということが分かれば、どんなに遠くても、どんなに辛くても、頑張れると思う。

逆に、どの島に向かえばいいかを曖昧にしていると、
「果たして自分が泳いできた方向は正しかったのか?」
「これからも同じ方向に進み続けて、どこにも辿り着けなかったら?」
と思えてしまって、絶対に苦しい。

私自身、今回の休学という選択を後悔しそうになることが数えきれないほどあった。

何のために休学したのか、本当に意味があるのか、不安や苦しみに襲われる夜も多かった。

でもそんな時、自分は正しい方向に進んでいるのだと分かったから、また前を向いて一歩を踏み出すことが出来た。

 

 

理由が先行していて、大いに結構。

 

留学したい!休学して海外インターンしたい!

そんな大きな決断をするときの「理由」、それは

「海外に興味があるから」
「想像するとワクワクする」
「なんだかかっこいい」

そんな直感的な、そして衝動的なもので構わないと思う。

ただ、「理由」とは別に「目的」を持つことが大切だと、私は声を大にして伝えたい。

自分にとってのゴールを設定することが大切なのだと。

それは誰かを説得するためでも納得させるためでもなく、自分が正しい方向に進んでいるかを確認するためだ。

目的のない行動は、あとあと辛くなる。
本当に、辛くなる。

理由が先行していたっていい。

私だって、休学を決めた理由なんて
周りに長期で海外に行く友人が多くてなんだか自分も行きたくなったからだし、漠然としたワクワク感や憧れみたいなものが大きかった。

先に理由があって、後から設定したのが「目的」だった。

自分の衝動や直感を正当化するためでもいい。最終的に、自分が納得のできる、本当に目指したいと思える目的を持つことさえできれば、なんだって構わないのだ。

 

 

目的によって行動の正解・不正解も変わってくるということ

 

自分がこの経験を経て何を得たいのか、
なにをしたいのか、どんな自分になりたいのか、
なにをしに行くのか。

例えば、目的が「社会人になって身動きが取れなくなる前に、学生のうちに精いっぱい広い世界を見る!精いっぱい遊ぶ!」

というものだったら、たくさん遊べばいい。

アフターシックスは毎日飲み会、
フライデーナイトはクラブに行ってはっちゃける。

それも、「とにかく楽しむこと」が目的であれば大正解。

「異文化理解」が目的であれば、現地の人との触れ合いを大切にしてどっぷりローカルの生活に浸り込むのが正解になるだろう。

でも私にとっての目的は「挫折して成長すること」。

だからひたすら自分と向き合うこと、
インターンの業務に真摯に取り組むことが正解。

もちろん私にとっても、飲み会に参加してここでしか出会えない人たちと出会うことや現地の人と触れ合うことは、すごくすごく大切なことだ。
でも私の目的に沿うならば、それは生活の2割程度でいいのだ。

 

 

目的のない休学は、つらい。

 

自分が何かに迷ったとき、
判断の基準となるのが目的というものだと思う。

自分が進もうとしているのは正しい方向なのか、ゴールが定まっていなければ人は簡単に見失う。

特にそれが人と違う行動だったりすると、
途端に不安に付きまとわれることになる。

休学がどんどんメジャーになって来ているのはとても良いことだし、実際私もここまで休学がメジャーになっていなかったら休学という選択なんて選ぶことはできなかったと思う。

しかし、ハードルが下がっているからこそ、安易に休学という選択肢を選んでしまう人が多いようにも感じる。

決して安易な休学が悪い、間違いだ、と言いたいわけではない。

ただ、目的のない休学はとても辛いんだよ、と伝えたい。
自分の実体験からして、非常に辛くて苦しいんだよ、と。

休学というのは、レールから外れることだ。

今までの、決まった枠の中から授業を選んで、出席して、なんとなく日々を消化していれば自動的に学年が上がった、前に進むことのできた毎日から一転。

休学は全てが自分次第だし、何でもできるからこそ、自分で自分が正しい方向に、前に進んでいるのかどうかきちんと管理しないといけない。

「どうして休学なんてしてるんだろう」
「本当に意味があるのか」

そんなことを考えだすと、とても苦しい。

そしてそれに答えが見つからなかったら、辛すぎる。

こんなことなんて考えずに、ただ休学期間を楽しめる人もいるだろう。

でも、私はどんな行動にでも意味や結果を求めてしまう人間だから、「自分にとって本当に価値のある時間になっているかどうか」ということを考えたとき、そこに答えが見つからないと本当に辛かった。親の反対を押し切っていた分、意味のある休学にしなければ、という思いが強かったのもあったかもしれない。

だから、これから休学を考えているひとたちにはぜひ「理由」の他に、「目的」というものを考えてから休学に臨んでもらいたい。

それは地図の目的地、ゴールのようなものだ。

自分がどこに向かいたいのか、それを決めてから旅をすることだ。

目的地を決めずに旅に出てしまうと
間違った方向に進み続けていても気が付かなかったり、本当にこの道で合っているのか、と迷って行ったり来たりしているうちに結局どこにも辿り着けませんでした、なんてことにもなり得てしまうから。

 

 

決して偉そうに訓示を述べたいわけではなく

 

偉そうに色々と語ってしまったけれど、決してお説教を垂れたいとか指図したいとかではなくて、ただ自分の実体験から得た感想を伝えたかったんです。

自由度が高い分、自分で決めた選択である分、
責任や不安が100%自分にのしかかってくる。

実際私はとても悩んだし、辛い思いもした。

でも目的地を決めていたおかげで、自分は正しい方向に進んでいるのだと確信が持てて、楽になった。

だから休学という旅に出る時は、「理由」の他にもひとつ自分なりの「目的」というものを持ってみてほしいな、と私は個人的にとても思うわけです。

 

こちらからは以上です。